9月7日

DSCF9972.jpg

天気 雨上がり 気温13度

昨日、午後から小雨になりました。
こんなに雨が続く9月は珍しいと思いますが、その分台風通過後に
期待です。10月末まで毎日快晴になったりして!!!

志賀高原ロングライドも終わったのに、登山道整備の話が続きます。
読まれておられる方もいい加減飽きているとは思うのですがアクセス数が?
こんな話が面白いのでしょうか?
もしかすれば地元の関係者が熱心に読まれているのでしょうか?
だとすると、先々の事を考えると文章として残しておかないと・・・・

1983年昭和58年いよいよ岩菅→切明の刈払いだったのですが
画期的な出来事が起りました。そうです。ヘリで荷揚げです!!

ちょうどその年、中部電力さんでは志賀高原の高天ヶ原まで高圧鉄塔を立てて
配電の工事をおこなっていました。
高天ヶ原に変電所が出来たのですが、高圧鉄塔などの資材を運ぶため
高天ヶ原の奥の東駐車場がヘリポートとなりました。

推測ですが、ヘリポートに使うには地元の同意が必要です。
たぶん当時の山岳救助隊の隊長が、同意する時 出来れば荷物をビバーク地まで
運んで貰いたいとお願いしたと思うのですが中部電力さんは引き受けてくれました。

もちろん人間は歩いて作業をしながら向かうのですが、通常の刈払いのように日帰りの装備ですみます。
一泊分のテント食糧シュラフなどを運んで頂いたのですが、ヘリでの空輸ですので
鍋やフライパンなどを空輸した班もありました。
またビールも空輸してくれました。ただビバーク地が標高1800メートルの高地で今頃ですので
寒く、あまり美味しかった記憶はありません。
発泡スチロールに中に氷が入っていて冷やしてくれていた記憶があります。
そのおかげでウイスキーを呑むのに、なんと氷もありました。

もちろん翌日は、ヘリは迎えに来てくれませんので何時ものように担いで作業をしながら
切明向かいました。
テントからブルーシートで小屋を建ててのスタイルはその時から始まりました。
ブルーシートなら現場に置いてこれます。帰りの荷物を少なくする工夫でした。
ついでに、隅で寝ていると朝露で濡れる事も学習しました。

救助隊誌の業務日誌を見ると翌年の1984年昭和59年は刈り払いをおこなっていません。
本来であれば、野反湖への刈払いの年ですが前年の台風で被害が多すぎて
とても1泊2日の日程では道が開きません。

健脚な先輩が命を受けて、下見に行かれたのですが最初は風倒木の場所と本数を
記録していたのですが途中から多すぎて不可能とのお話は、お聞きはしました。

また平成元年に一の瀬旅館組合青年部で日帰りで調査をしたのですが
とてもではないが復旧は無理と言っておりました。
実は小生その時、一の瀬青年部のサポートとして野反湖に迎えに行きました。

昭和59年の年は、計画されなかったのか台風で中止になったか記憶にはありません。

昭和60年は再び岩菅→切明の刈払いを行ったのですが、当然ヘリの空輸は無しです。
一泊分の荷物を背負ってですので、やはりヘリは良かったとみんな話していました。
前に空輸した鍋やフライパンなどを立木に縛り付けてあったのですがちゃんと残っていて
感動した思い出があります。
一度楽をしてしまうと後は難しいです。
ただ凄かったのは私より年は1つ上の先輩の方で新入隊員で入られたのですが
トレーニングと称して2人分以上の荷物を担いでくれました。


その後、岩菅→切明も台風で被害が出て通行不可になました。
平成2.3年と続けて遭難が発生して1992年平成4年に新たに登山道を開けるまでは
刈払い作業は行いませんでした。

前にも書きましたが平成4年は、裏岩菅まで人もヘリで運びましたが
ヘリは便利ですがいろいろな問題もあります。 明日に続きます。





ホーム

プロフィール

ホテル銀嶺

Author:ホテル銀嶺
志賀高原
たかまがはら温泉
白樺林の温泉露天風呂の宿

ホテル銀嶺

カレンダー

08 | 2015/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -

ブログ内検索

QRコード

QR

にほんブログ村

励みになりますので興味がある方にポチッとお願い致します。

にほんブログ村

励みになりますので興味がある方にポチッとお願い致します。