9月14日

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天気 くもり 気温8度

前線が夜中に通過したので天気の回復は遅れていますが
空気は秋の乾いた空気に入れ替わりました。
いつも思うのですが、この空気の中で登山やトレッキングを楽しんで頂きたいです。
動いてもあまり汗を掻かずに、立ち止ればスーと引いていきます。

志賀高原内には、いろいろな登山道や遊歩道がありますが
誰が何時、作ったと言う記録はあまり残っていません。
昭和30年代に、空前のハイキングブームが起こって
大勢のお客様が押し寄せたので色々なコースが出来たとは思います。

1955年昭和30年夏には平日1日2000人、土日は4~5000人のお客様が
志賀高原の麓の駅、湯田中駅に殺到して長野電鉄ではバスが足りずに夏の間は
東京のバス会社から6台借りて運行していたが大勢の積み残しがでたとの記載があります。
1952年昭和27年には季節運行で上野から湯田中間に直通列車が走り
1961年昭和36年には同区間の急行志賀号が通年運転開始になったほど
大勢のお客様が夏も電車でお越しになっていたという事になります。

夏ですので木戸池などのキャンプ場が大盛況だったようです。
昭和32年に、木戸池に夏の臨時派出所が開設されて4名の警察官配置の記載が残っています。

宿泊施設も現在の志賀高原とは違い、山小屋が25軒程度の規模でしたので
1軒20-30人収容の規模で、とても収容しきれず、布団部屋や廊下で
寝かせろとお客様が押し寄せたようです。
それで、急遽増築と、新たな宿泊施設も急激に増えました。

蓮池から発哺にロープウェイを掛けろ!!
発哺から東館山に空中ケーブルを掛けろ!!
池めぐりコースのために前山にリフトを掛けろと
殺到するお客様のために劇的に変わって行ったのが昭和30年代です。

押し寄せるお客様のために整備が進んだ、登山道や遊歩道作りにピッタリのシステムが
志賀高原にはあり、そんな話を今週は書いて行きたいと思います。

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