野沢菜漬け

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本日は朝から冬 お客様に召し上がって頂く野沢菜の漬け込みです。
この為にわざわざ温泉を厨房にも引っ張って有ります。
野沢菜も温泉に浸かり美味しく漬かってくれると思います。

追伸
週間気圧配置図で本日を選びましたが、明日は関東もですが長野の平地でも
降雪が予報されています。雪が降ると野沢菜が折れて市場に出回らなくなります。
また品質も悪いです。因みに飯山市の瑞穂産の野沢菜です。一番のブランド産です。


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11月23日

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天気 小雪 気温-6度

思ったより寒気の南下が遅く昨晩はスノーマシン稼働しませんでした。
その代り今晩は関東地方でも降雪が予想されています。

昨日、東館山空中ケーブル3時間待ちの話を書きましたが、現在のバス停付近で
乗車整理券を配っていました。
そして、下三桁何番から何番と放送で呼び出していました。お客様はバス待合室で
待っていたり岩菅さんあたりで食事や喫茶で時間をつぶされていました。
3時間待ちとなればブナ平で滑られていたのかもしれません。
私共は子供の頃、整理券を頂いた記憶がありません。
改札の前でも次に乗られるお客様がお待ちでしたが、魔法の一言「おねがいします。」
と言うと改札を通してくれました。
行列に並ばれているお客様にすれば「従業員さんのお子さんでお父さんのところに
遊びに行くのね」そんな感じで見ていたのかもしれません。
そして乗り場の後ろに運転室が有るのですが、運転室で欠員が出るのを待ってゴンドラに
乗車です。3人で待っていても1人づつの時もありますし乗れない時もありました。
そして、山頂駅に着くと山頂駅の事務所に直行です。最後のお客様が階段
を登り始めて見えなくなるのを確認して事務所の窓から飛び降りて滑り出しました。
お客様が階段を登って滑り出す頃には、滑り終わり山麓に着いていたと思います。
もちろん悪魔の125段の階段を登る事もありました。
現在は、山頂は立ち食いソバですが当時は展望台でラーメンでした。
ラーメンを注文すると「われ どこのセガレだ」と言われ親の名前を出すとタダでした。
親からは昼食代は貰っているのですがジュース代は貰っていません。
当時、コーラの甘味料に使っていたチクロが発がん性で問題になっていた時期でした。
親にするとジュース代も渡すとコーラを買う可能性があり、くれませんでした。
子供にすれば発がん性よりコーラです。お昼代で好きなだけコーラが飲めました。
当時とすれば、子供だけで滑っているのは地元の子供たちだけなので1本でも多く滑って
上手になって故郷に錦の旗を揚げてくれればの気持ちだと思います。
リフト券は紙の見せるタイプでしたが、どのリフト乗り場でも魔法の一言「お願いします。」
でリフトに乗れました。
現在のようにICチケットや食券の券売機の時代ではありませんのでギスギスでは無く、おおらかな時代でした。

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冬への準備 ファイナル

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階段に引いてあった人工芝を仕舞いました。
この時期はお客様がお見えにならないので早めでも良いのですが
前に、人材派遣のセールスに来たオネ~タンがハイヒールを引っかけて
恨めしそうにしていました。
これで今晩からドーンと降ってくれても大丈夫です(^_^)


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11月22日

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天気 くもり 気温3度

今朝は氷点下まで下がりませんでしたが現在寒気が入り始めて北から霧に覆われています。
本格的な寒気の南下は今晩からになります。
今朝の地震は驚きました。5年前を思い出さてくれました。
志賀高原は震度2程度でしたが緊急地震速報が流れてしばらくして長期震動を感じました。
なるべく被害が少ない事を祈るばかりです。
それと出来る時に、多少無理をしてでも遣っておかないと出来なくなる事を思い起こさせてくれました。

東館山ゴンドラリフトの前進の東館山空中ケーブルは1960年昭和35年
夏に架設されました。
建設費は当時の金額で1億円の記載があります。
現在の金額に直せば約10億円くらいになると思います。
乗り場は現在の山麓駅の場所ですが、山頂駅は現在の場所から一段下がった
場所になりました。お役所の許認可の話になりますので訳は省略します。
そのため山頂展望台までは急な125段の階段で結ばれました。
1976年昭和51年にゴンドラリフトに掛け換わるまで、僅か16年間だけ使われました。
ゴンドラは31人乗りですが1名は車掌が乗務していましたので30人乗りでした。
1時間当たり240名の記載がありますので計算上7.5分で乗り降りして運行していた事になります。
最盛期3時間待ちの記録が残っています。
当時使っていたゴンドラは東館山の初級コースの脇に物置として置いてあります。
志賀高原ロープウェイのゴンドラより一回り小さかったです。
余談ですがゴンドラリフトに変わった時、4人ゆっくり座れて楽になった記憶があります。
空中ケーブルのゴンドラの時は立ってギュウギュウ詰めでした。毎回満員電車並みです。
私は混雑時にのった事はありませんが野沢温泉の長坂のゴンドラの感じでしょうか?
また空中ケーブルの時は巨大な鉄塔で高い位置を走っていましたがゴンドラリフトに
なったら低い位置になりました。
折角、滑降コースの東館山山頂までケーブルが掛かったのに全日本スキー選手権は
1961年昭和36年まで志賀高原での開催となっています。
当時いろいろなところにスキー場が出来始めて宣伝するには全日本スキー選手権の
誘致が一番と誘致合戦になったようです。


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11月21日

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天気 はれ 気温3度

今朝も霜が降りた程度の冷え込みでした。スノーマシンで作った雪や
10日に降った雪は消えずに残っています。
白銀の世界を待ち焦がれて居られるお客様には申し訳ないのですが
小春日和も明日までです。雪が積もるまで、いろいろ遣る外仕事が待っています。
昨日は、取れたばかりの白菜や大根を頂き外で洗っていました。
暖かければ外で洗う事が出来ます。

先週、住友銀行さんが出資では無く寄付の話を書きましたが
旧志賀山リフトの初代社長の児玉 環さんの銀行編の話もあります。
地元の銀行にリフトを掛けるから金を貸せと言ったら、当行の内規では
リフト会社には融資できません。貸出順位では甲、乙、丙、丁、戊の
戊に当たります。戊は他にどんな業種が有るの? キャバレーやバーです。
断わられて、これでスキーリフト建設もダメかと途方に暮れて長野の街を歩いていたら
信用金庫の看板が目に入り飛び込んで、藁をつかむ気持ちでお願いしたら
信用金庫の理事長から「当庫で用立てましょう!ただし一つ条件が有ります。
将来業績が良くなったからと言って他に脇目を使うことなく当庫をよろしく」
と言われた話です。
いくらなんでも直ぐにその場で融資決定は出ないとは思いますが、昭和30年代は
まだ戦後復興のさなかで、銀行にしても物をつくる工業や生活のための商業への融資が
主でした。
レジャー産業などは重要視されていない時代でした。
信金さんにすれば将来を見据え、やがてレジャー・ゆとりの時代が来ると
先を読んでくれたようです。
当時、リフト会社は返さなくてよい資金、つまり出資で資金を集めていました。
高天ヶ原や一の瀬のリフトを運営していた旧志賀高原観光開発は本来
1人1株で会社を設立しましたが軌道に乗るまで増資で赤字を埋めていました。
その為 当時役員をしていたとか、私共みたいに地元で商売をしていた者が
その都度、増資に応じていました。そのため現在持ち株が多いです。
折角リフトが掛かったのに赤字で倒産では困りますから・・・・
合併する時驚いた事があります。旧蓮池リフトの株もありました。
配当でもあれば気がつくのですが、親に聞いたら従業員さんの給料を払うため
出資をお願いされて株主になったようです。

環さんの話では、お役所編もあるのですが、明日は東館山空中ケーブルの話に
なります。
児玉 環さんは東館山頂にあるレリーフのお方です。
苦労話を楽しくおかしく話す話術に長けた方でした。
お亡くなりになられて10年以上たちます。 合掌

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11月20日

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天気 快晴 気温3度

今朝は薄らと霜が降りた程度の冷え込みでした。スノーマシンは稼働しませんでした。
今週の週間予報で、ようやく雨マークが絵描かれるようになりました。
先週までは曇りマークだけでした。23日から真冬並みの寒気が入る予報でしたので
どうしてだろうと思っていましたら南岸低気圧が発達して西高東低冬型気圧配置に
なるので、ためらっていたようです。
曇りマークを信じていたら大変な事になります。
冬、お客様に召し上がって頂く野沢菜も雪が降れば、茎が折れ市場に出回らなくなりますし
品質も悪くなります。さりとて早く漬けると氷温食品チルド食品でもあり、暖かい日々が続くと
悪くなってしまいます。
私共では寒気を見越して22日に搬入をお願いしてあります。
天気図が読めないと判断も出来ません。

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11月19日

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天気 霧雨 気温0度

本日、熊の湯スキー場オープンの予定でしたが雪不足のため延期となりました。
志賀高原の場合、天然雪を補うためのスノーマシですのでスノーマシンだけでは厳しいです。
来週23日からの寒気に期待です。

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11月18日

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天気 快晴 気温-5度

今朝は今シーズン一番の冷え込みでマイナス10度位まで下がり順調にスノーマシンが稼働しています。

志賀高原史に信じられない出来事があるのですが、それは志賀山リフト設立時
発哺温泉に住友家の別荘があるのですが、住友家の家長さんに出資のお願いに
行ったら、なんとリフト1本分寄付の話です。
住友家の別荘は昭和15年に建てられましたが、それ以前から天狗の湯を
ご利用になられて志賀高原を気に入られ建られたと思います。
たぶん金三郎さんが家長さんに出資のお願いに上がり、家長さんは住友銀行の
頭取に話して、頭取にすればスキーリフトなる海の物とも山の物とも判らない
会社に出資して、後で責任問題になるくらいなら「住友家のために差し上げてしまえ!!」
と奉加帳の一番に、住友銀行20万円の記載があり、他社も渋ちんの住友銀行が寄付をするなら
と住友グループ各社が総額100万円の賛助金を集めてリフト1本分寄付の話です。
現在の価格に直せば約1億円位だと思います。(固定のシングルリフトのため)
戦後の財閥解体で住友家と住友グループは別ですが、やはり宗家の力は絶大です。
リフト1本掛ける資金繰りにも四苦八苦していたのに、1本分寄付で間に合った
訳です。旧志賀山リフトの初代社長の児玉 環さんは話術に長けた方で
昔の苦労話をおもしろ可笑しく 良くされて下りました。
住友家の一件もだいぶ誇張も有りますが 
「おらー 住友家の家長さんの所いってさー リフト掛けるんで 
株主になってもらいたいってせったら(長野の方言で 言うの意味)
そうしたら」家長さん 「リフトいくらするの」 1本1億円(現在の価値で)
したら 「家訓で出資は出来ません。」「おらー 天下の住友さんだから
100か200万ぐれえ出してくれると思っていたのに・・・
蓮池の崖(現在のジャイアントスキー場)から突き落とされた気分になっちまただー」 

次に 「ただし寄付は出来ます。リフト1本分寄付します」と言われ 
「おらー 腰がぬけただー と」

志賀高原史に残るとんでも無い出来事でした。
ジャイアントにリフト1本の予定が発哺線にも同時にリフトを掛けました。
そのため僅か4年後に東館空中ケーブルを掛ける事が出来ました。
住友さんも志賀高原に別荘を建てるくらいだから、きっとスキーが大好きだったのでしょうね。
住友家の別荘は東館山からゴンドラ乗り場に向かうコースに現在もあります。
現在は住友不動産の保養所となっておりますが、1室だけ家長さん専用のお部屋が
有るようです。開かずの間で拝見する事は出来ませんが、お部屋は質素だそうです。

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11月17日

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天気 快晴 気温-3度

昨日は小雪がチラつき気温も上がらず、おまけに風も無く1日スノーマシンが稼働していました。
風かあると折角作った雪が飛んで行ってしまいます。


昨日、天狗の湯の関 金三郎さんの話を書きましたが旧志賀山リフト(ジャイアント・ブナ平・東館山・寺小屋・西館下部)の設立にも大きく係わっておられました。
熊の湯さんのように旅館とリフト同じ会社でも良かったと思うのですが、別会社にされた由は現在判りません。
会社を設立して事業を起こす場合は資金が必要です。金融機関から借り入れるには
担保が入りますが、天狗の湯の土地建物をすべて担保に差しだされて借り入れを起こされました。
出資してくれる株主集めも金三郎さんのお仕事でした。
設立した頃の株主名簿を見ると見慣れないお名前がありますので、おそらく天狗の湯の
常連のお客様にも声を掛けて出資して頂いたのかもしれません。
その中で、信じられない話があるのですが長くなりますので明日書きます。

尚 ジャイアントスキー場は金三郎さんの設計では無く、昭和29年に猪谷千春さんのお父様
猪谷六合雄さんが全日本スキー選手権開催のため蓮池の崖と言われていたところにコースを
設計された記録が残っています。


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11月16日

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天気 くもり 気温-5度

ようやくスノーマシンが稼働を始めましたが天然雪は北半球上空天気図に
シベリア上空にマイナス42度以下の寒気が描かれていて、来週後半には
日本に流れてくる予報です。スキー場開き祭には全山滑走可能を願うばかりです。

さて、東館山は滑降コース、西舘山は大回転コースと設計されたのが
現在、営業を休止されておられる発哺温泉の天狗の湯の先代
関 金三郎さんとの記載があります。
関さんは1937年昭和12年の全日本スキー選手権(滋賀県伊吹山)の
滑降競技で、ぶっちぎりで優勝され1940年昭和15年に行われる予定だった
幻の札幌オリンピック出場を日本代表で有力視されて居られた方でした。
オリンピックは国威発揚のため、アジア初で夏冬同時開催の計画でしたが戦争のため
2回続けて中止となったようです。
スキーに掛ける情熱は人一倍強く、志賀高原のスキー史にはいろいろなところで
お名前が出てきます。我田引水の方では無かったので、天狗の湯の横には
滑降コースを設置しませんでした。選手目線で一番良い場所をレイアウトを
されました。その後5年間に渡り毎年、全日本スキー選手権を志賀高原で開催しました。


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