11月30日

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天気 快晴 気温-10度

昨晩よりスノーマシン、クワッド側にも移動して雪を作っています。

 西館山スキー場は昭和31年にはオープンしたのですがリフトが掛けられたのは昭和42年になります。
現在の西舘山フーディークワッドの場所にシングルリフト1本です。
当時はリフトが無くても登って滑った時代でもありましたが、恵まれていたのは発哺クワッドが掛かっている場所に東館山スキー場の時に書きました、住友家から寄付で作った発哺線のリフトがありましたので発哺線リフトを使って滑る事が出来ました。
当時の発哺線リフト降り場は現在発哺温泉の手前のスノーシェドの道路脇にあり、そのまま道路を滑ってリバティーさんやサンシャインさんの前を通り、現在の西舘クワッド降り場の出る方法がありました。昭和41年まで蓮池から先は道路冬季閉鎖でした。
道路の話は後にします。当時はリバティーさんやサンシャインさんはスキーコース沿いでした。
もう一つのルートは西発哺さんに抜けるルートです。夏にお見えになられるお客様はご存じだと思いますが、大倉新道と言って遊歩道になっています。
そのルートを使うと西館の上級コースとFISコースが合流する少し下に出ます。
また昭和35年には発哺と高天ヶ原を結ぶ高天ヶ原リフトも掛かりましたので、私共の横のスキー場を登れば山頂に着くことができます。
お客様で私共の横のスキー場を登り西館山を滑り、ジャイアントのリフトから蓮池に滑って行って、現在撤去しましたが蓮池から志賀高原ロープウェイで戻ってくる事が出来ました。また東館山空中ケーブルを使って高天ヶ原を滑って来るコースもあります。
当時とすればミニツアーでした。

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11月29日

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天気 吹雪 気温-7度

昨日は朝の内はよい降りだったのですが日中は降る雪より風か強くて雪が飛ばされていました。
週間天気図で2日の西高東低冬型カー気圧配置を期待していたのですがあまり期待できない気圧配置の予報に変わりました。

西館山スキー場は現在の上級者コースが全日本スキー選手権のために作られました。
現在と大きく違うのはスタートして右側に回り込みいったん中級コースに入り回り込んでいますが、右側に回り込んだあたりから左側にコースが作られていました。
男子コースは現在のリフトの下を滑り女子コースは現在の中級コースからの連絡路になっている場所の上が合流するかたちでした。
リフトの話題は後に書きますがリフトが、掛かってしばらくしたら男子コースが閉鎖になりました。
リフトの支柱にぶつかり怪我をする可能性もありますし、広げた事によって雪の着きが悪くなったのしれません。
現在の中級コースから回り込むようになったのは、だいぶ後になってからの事です。それまでは女子コースを使っていました。
もう一か所、現在は西館山クワッドの下を通り過ぎると右側にカーブしてゴールハウス方面に向かいますが、当時はそのまま真っ直ぐに滑り崖を斜めに滑り降りて現在の発哺クワッドの下を通りゴールでした。
東館山の滑降と西舘山の大回転のゴールは同じ場所でした。
また、スタートして西舘フーディークワッドの下をくぐり抜けると平な場所がありますが当時は盛り上がっていました。
その先に西発哺さんに行く入口が有るのですが、そこも盛り上がりジャンプ台のようになっていました。
大回転コースなのですが滑降コースのようにジャンプ台が2つしかも連続していました。
現在はブルドーザーで削りなだらかになっていますが、当時は自然の地形なのでしょうがないです。
子供心に思ったのは上手な人は何を遣っても上手だなと思いました。
アルペンスキーの場合、なるべくジャンプで飛ばないように抑えるのですが、1段目は抑えられても2段目では抑えが利かなく飛ばされます。
それを全日本クラスの選手の方は軽々クリヤーして滑って行きました。草野球をしている少年が初めてプロ野球を見る気持ちと同じでしょうか?
子供の頃は妙に自信がありますが、あの滑りを見ていると自分では生涯無理と思う位です。
スタートして直ぐに急斜面そして、2連のジャンプ台、最後もジャンプして急斜面に滑り込み緩斜面のゴールと滑降コースのような大回転コースでした。
そのため全日本スキー選手権を連続5回開催出来たのだと思いますし、競技と言えは西舘と名声を高めたのかもしれません。

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続報 ピステン掛け

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チケット売り場から第2リフトに滑って行けるように雪を出しています。

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ピステン掛け開始

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12月1日オープンに向けて猛吹雪のスキー場の整備を開始しました。
猛吹雪のため見づらくて申し訳ありません。

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11月28日

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天気 大雪吹雪 気温-7度

真冬なら勘弁してくれと言いたくなる真っ直ぐに等圧線が立った気圧配置に朝からなりました。
気温も急激に下がっています。
昨日、リフトの担当者と立ち話をしたのですが土曜日の午後南風が強くなったのですが寒かったのに日曜日の暖かさが信じられないくらいに気温が上がりました。今朝から北風に変わり急激に冷え込み始めました。
急激な温度変化が信じられません。

さて、西館山スキー場は全日本スキー選手権開催のため1956年昭和31年に現在営業を休止されておられる天狗の湯の先代関 金三郎さんが設計された記録が残っておりますが、コースの設計は図面に書いて終わりではありません。どちらかと言うと図面は後の仕事です。
先ずは、冬の間スキーを履いて幾度となく原生林の中を滑り、コースのイメージを作ります。
滑ってはスキーを担いで登っての繰り返しです。
スタート地点は斜度が緩く、選手や関係者が多く滞在しますので広さも必要です。
当然競技コースですのでスピードの出る急斜面も必要ですし、メリハリをつけるため緩斜面も必要です。
ポールをセットして大会のコース取りのイメージも必要になります。
そしてゴール地点は広さが求められます。西館のコースも滑っては登りを繰り返して、最適と思った場所に、立木に目印を付けて置きます。
そして、今度は夏に藪漕ぎをしながら歩いて、コースにして不具合が無いかを確認して決めます。
コースを開けた記録は残っていますが、費用面は書かれておりません。
たぶん金三郎さんが先頭になって、木を切り藪を刈り払いコースにしていったと思います。
もちろん志賀高原の住民や下の青年団なども、手弁当で作業をしたものと思います。
リフトを掛けるのなら費用はリフト会社で払いますが、コースだけですので金の出どこがありません。
金三郎さんの事を書きだしますと本1冊くらいになりますので省略しますが、あまり知られていないと言うか極秘の出来事がありました。
金三郎さんのスキーに対する情熱のためなら書いてもいいかなと思い今回始めて書きます。
長野オリンピックの長野の候補地一本化が決まり、アルペンは志賀ノルデックは白馬に決まり滑降コースは岩菅山に決まった頃の事でした。
金三郎さんは志賀高原観光協会長やスキークラブ長どころか長野県スキー連盟、全日本スキー連盟などの数多くの役職に付かれておりましたが大正6年生まれですので75才くらいの時だったと思うのですが、すべての役職から隠居されて居られたのですが、岩菅山に新設される滑降コースの下見に行かれました。
寒かったので秋口だったとは思うのですが一人で見に行かれました。コース予定地は1メートル位の幅で刈り払いをしてありました。
自ら歩かれてオリンピックコースを確かめられました。
夕方遅くなってもお戻りになられず、金三郎さんが戻られないとなると志賀高原中大騒ぎになりますので、急遽内輪の者を招集して迎えに行きました。
昨年にガソリンランタンの話題を書いた事がありますがその出来事でした。
すべての役職は降りられて居られましたが、ご自分で確かめたかったようです。
金三郎さんは2006年平成18年6月21日にお亡くなりになられました。
金三郎さんの葬儀は天狗の湯で執り行われたのですが、参列者の車が延々に続き発哺入口からシャトルバスを出しました。
そして、天狗の湯の3階の大広間が会場だったのですが発哺のバス停から大行列でした。
何千人と言う弔問客であふれ返りました。
志賀高原とスキー業界の発展に絶大なる寄与された方でした。
志賀高原山内に関 金三郎さんの記念碑が欲しいくらいです。 合掌

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11月27日

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天気 くもり 気温-1度

昨日、夕方から南風が強くなり夜中はミゾレか雨が降ったようです。
道路は濡れていますが写真でも判りますが前のリフト会社の建物の屋根の雪は落ちていません。
微妙な降りだったのかも知れません。
湿ったボタ雪を期待していたのですが残念です。
今晩からは西高東低冬型気圧配置になり雪になります。

時事ネタを一つ
この間、新聞に国交省が雪道でタイヤチェーンをせずにスタックして渋滞を発生させた場合、罰金を課す検討を始めたようです。
平成26年の時もですが大型トラックがタイヤチェーンを着けるのが面倒で、ゆっくり止まらないようにノロノロ走っているのを国道で多く見かけます。
ワンマンでしかもトラックのタイヤチェーン重く取り付けが大変です。
スタックしてしまえば道路を塞ぎ大渋滞になり、渋滞にハマったタイヤチェーンを付けていないトラックも動けなくなります。
2.3日続いた渋滞を考えると・・・・・
賛否両論がありますが・・・・・・・

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11月26日

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天気 快晴 気温-7度

今朝もマイナス10度近くまで気温が下がりスノーマシンが順調稼働しています。
高天ヶ原マンモス・一の瀬ファミリーは12月1日オープンの予定です。

このところ今シーズンは雪が多いのかとご質問を頂きますが、54年振りに関東地方に雪が降った事を思うと2014年平成26年の関東地方の大雪を思い出します。
平成26年11月13日にも長野の平地でも雪が積もりました。
今シーズンは平成26年の再来かもしれません。
例年より寒い冬が予報されていますので南岸低気圧で雨より雪の方が多いかもしれません。

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道路状況

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通称1000メートル下のところですが日があたらない場所なのでガチガチに凍っています。
特にこの時期は一番滑ります。お気おつけください。

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この時期地元民もゆっくり走ります。するとこんな写真が撮れました。
カモシカも寒そうです。


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11月25日

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天気 快晴 気温-10度

晴れていますが日中小さな低気圧が通過して再び雪の予報が出ています。
この寒さでスノーマシンはフル稼働です。
昨日は南岸低気圧の影響で雪になりましたが、あまり低気圧が発達しなかったので雪の量は大した事がありませんでした。
週間気圧配置図では28日と12月2日に強い冬型が描かれています 。

さて、東館山スキー場の話題も本日で終わりです。
東館山に空中ケーブルを掛けたのに、全日本スキー選手権は次々に開設されたスキー場に持って行かれた話を書きましたが、1961年昭和36年3月19日に第一回中日杯争奪東館山大回転スキー大会の記載がありました。
天狗の湯に、常連でお越しの中日新聞社主の小山さんのご理解で開催したようです。
一般のお客様も気軽に参加できるスキー大会です。
なぜ3月に開催したかと言うと、標高の低いスキー場は2月いっぱいで営業を終了していて志賀高原はまだ滑れるという事が認知されていなかったようです。
新聞社主催ですので新聞紙面にも大きく取り上げられて、志賀高原は3月でも大会を開催するほど十分滑れると宣伝になりました。
翌年の37年には第一回高天ヶ原大回転スキー大会が4月に開催されました。
後援にはデイリースポーツ新聞社さんがついていました。
中日杯で忘れられないのは入賞の副賞が凄かった事です。
昭和40年からはジャイアントで小賀坂杯のスキー大会が行われるようになるのですが、小賀坂杯の場合はスキーメーカーの小賀坂ですので副賞はスキーなのですが、入賞して副賞を頂いても殆ど自分が履く板ではありません。
表彰台で頂く時はスキーを持ち上げて嬉しそうな顔をするのですが、内心は貸スキー行きかと、みんな思っていました。
私共のレストランにビンデングがついていないスキーが飾ってありますが、貸スキーにもならなかったので残っていました。
中日杯は新聞社主催ですので、新聞に広告を出されているような企業から副賞を集めたようでバラエティーに富んでいました。
忘れられないのは、AKAIのオープンリールのテープレコーダーでした。
まだカセットテープが出てくる前の持ち運びできると言っても、かなりの大きさがありました。
単一電池を10本くらい入れて使った記憶があります。
中日杯は天狗の湯の関 金三郎さんがお亡くなりになられてから西舘に移り、知らない間に終わっていました。
来週は西館山スキー場の話題を書きたいと思います。

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11月24日

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天気 ゆき 気温-7度
朝までに15センチ程度の積雪です。道路は除雪されています。
雪の量は大した事がありませんがスノーマシンはフル稼働です。

東館山のコースは現在とは違い初級コースは、緩やかにするため遠回りしていますが昔はもっと斜面でジグザクの作りでした。
子供たちが集まればヨーイドンで競争になります。
初級コースが楽しく、お客様が滑っているのを山側の崖や谷側を回り追い抜いて行きます。
同じ状況は2度とありません。先頭が崖の方から回り込むと2番手は谷側からコースにジャンプして戻ります。
左右から抜かれたお客様は驚くと思いますが、お客様の邪魔にはなっていません。
バンクーバー冬季オリンピックからスキークロスも行われるようになりましたが、世界中の雪国の子供たちは同じ事をしていたようです。
上級コース(オリンピックコース)も現在は起伏を削りつまらないコースになってしまいましたが昔は起伏にとんだコースでした。
急斜面の上には棚が有るのですが、お客様は棚のところで立ち止って下をのぞき込んで居られました。そこをすり抜けてジャンプしながら急斜面に飛び込むと後ろから歓声が聞こえます。その歓声が快感でした。
現在、旧道の上に車が走るスノーシェド(トンネル)が設置されていますが1966年昭和41年までは、蓮池から先は冬季閉鎖で車が来ませんでした。
トンネルが有る場所は道路部分が棚になっていました。
コースの幅も現在より狭く立木もありました。そのため雪の着きは良かったのかもしれません。

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