西舘スキー場

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西舘スキー場は本日までの営業になります。
キッチリとピステン掛けされていますが誰も滑っていません。

クマザサ
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例年なら雪の重さで倒れて枯れずに雪の下で過ごしますが、小雪で寒気にさらされて枯れています。
初夏に、この竹の子が志賀高原名物の竹の子になります。
昨年は豊作でしたが今年はどうなりますやら



西舘山頂よりの風景
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写真、中央が長野市飯綱山スキー場になります。
長野市民の気軽に行けるスキー場として賑わい、夜もナイタースキーを行っていましたが今シーズンで廃止が決定しました。
長野市民の皆さんは学校のスキー教室でなじみがあるスキー場でした。
平成の大合併が無ければ存続したと思うのですが、現在戸隠も長野市になりました。

西舘中級コース
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上級コースは閉鎖になっていました。
南斜面なので日中に溶けて凍ってくれて高速バーンに仕上がっています。

土砂崩落地点
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昨年の台風19号で崩落した場所ですが、本年水抜き工事の後、上部より土を削り復元する予定です。
そのため斜度は緩くなると思います。

リフトからの風景
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この風景は来シーズンまで見ることはできません。

おまけ


ちゃんと規則正しい小回りも出来ます。

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3月31日

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天気 かいせい 気温-2度

全山滑走最終日、快晴で終わりそうです。
本日で全山滑れるのは終了しますが、シーズンはGWまで続きます。
心配された積雪も十分ありますし、今週末もまだまだ雪の予報です。
今シーズンまだ滑りたりないと心残りのお客様はいつ滑るの?「今でしょ!!」


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3月30日

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天気 うすぐもり 気温-4度

この時期は快晴より曇ってくれた方がピステンの良い状態が続いてくれます。
今週も1日頃は気温が上がる予報ですが週末に掛けて再び寒気が南下する予報が出ています。
極端な天気が続き1993年平成5年の冷夏の再来かもしれません。
米が不作で翌年タイ米が混じったと言うも皆さん思い出すようです。
あの夏は「おでん」がヒット商品でした。


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3月29日

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天気 ゆき 気温-7度

南岸低気圧の影響で湿った雪が深々と降っています。
午後には上がる予報です。
シーズンも終わりですがシーズンの初めに降って貰いたい雪でした。


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3月28日

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天気 きり 気温2度

明け方、前線が通過して雨が降り冷たい空気が入りだして霧になっています。
日中は晴れると思うのですが今晩から雪の予報が出ています。


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3月27日

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天気 うすぐもり 気温2度

ようやく曇ってくれました。強い南風が吹くと関東方面から雨粒が飛んでくる予報です。
快晴の方が良いと思われますが、この時期は太陽の入射角が夏より低くく真夏並みの紫外線が降り注ぎます。
おまけに雪で反射して室内でもサングラスが欲しいくらいでした。

今晩、明朝お越しになられるお客様へ
前線通過後冬型気圧配置に戻ります。
時間帯によっては道路は溶けていてもトンネル内は凍結した場所があります。
最後のスキーを楽しまれてください。
大勢のお客様のお越しをお待ち申し上げております。

志賀高原の歴史も本日で最後になります。
焼額山は1983年昭和58年にオープンしました。
余談ですが火山です。山頂には噴火口が池になり稚児池があります。
焼ける額とは誰が名付けたのでしょうか?
焼額を持っているのは湯田中の共益会と言う和合会と同じ組織です。
湯田中の皆さんも有志が集まり官地から民地に取り戻して財団法人を作り所有にしました。
湯田中地区もスキー場が欲しくて焼額を当時の国土計画に貸す条件で、今は無き五輪スキー場を作って貰いました。
湯田中より101人乗りのロープウェイで約1200メートルまで登り、6人乗りゴンドラ1基とリフト1本のスキー場でした。
たしか3本のコースがあり急斜面はリフト側にはありましたがロングランが楽しめるスキー場でした。
ただゴンドラの終点か広い平らな場所にありスキーならスケーティングで進めるのですが、ボーダーの皆さんは抱えて一段下がった場所まで移動して滑り始めです。
おそらく焼額とゴンドラで繋げるためにだとは思うのですが?社員に聞いてもバラバラの意見でした。
あの場所から焼額山頂までは何本か掛ければ繋がりますが、スキーコースとなると・・・・

焼額も当初はホテル1軒ゴンドラ1基リフト3本だけでコースも林間コースのみで、思ったところで曲がれない方はご遠慮ください。と案内していた記憶があります。
その後、オリンピック誘致にはワールドカップの開催が必要で選手の宿泊施設のために昭和62年に南館と第2ゴンドラなどを、そしてオリンピックでスノーボード競技が追加され選手村として西館などがオープンしました。
いつのまにか巨大なスキー場になりました。
1989年平成1年のワールドカップはスラローム(回転)はジャイアントスキー場、ジャイアントスラローム(大回転)は西舘で行い、焼額ではワールドカップの最終戦で、2人で同時に滑るデュアル競技が行われました。
当時のスキー場の雰囲気は、本当にここでオリンピック遣るの?の雰囲気でした。
現在のオリンピックコースなど尾根沿いの林間コースでした。
映画「私をスキーの連れて行って」をご覧いただければ当時の雰囲気が分かって頂けると思います。

志賀高原の魅力はスキー場のために計画開発され、しかも日本一の面積やリフト・ゴンドラの数も日本一です。
おまけに、だいたいのスキー場が片斜面なに、北向き東向きなどいろいろな斜面がありますのでバリエーションが豊富です。
よく「志賀はいいな」と言われますがスキーのために作ったリゾートです。
おまけに雪は少ない場所です。
重い雪は新潟に降って、その上の軽い雪だけ飛んで来て標高が高いので、軽い雪が長持ちする奇跡のスキー場です。
全山滑れるのもあと5日となりました。
まだ心残りで迷われて居られるお客様は「今でしょ!!」



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3月26日

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天気 かいせい 気温-3度

ピステンが光輝いています。
今朝はマイナス5度程度の冷え込みでした。
天気が良いのはありがたいのですが、日差しが強く曇ってくれた方が助かります。
土日は雪の予報が出ていますので日差しを考えると助かります。

奥志賀は1969年昭和44年に長野電鉄が山ノ内町より99年の借地契約を結びオープンしました。
99年契約ですがホンコンやマカオも99年の借地で、まさかの中国に返還になりましたが2068年に町への返還は無いと思います。
前にも書きましたが明治維新の時、新政府の官地か民地の時に当時の夜間瀬村は村有地として取り戻したので3村が合併して山ノ内町になり町有地になりました。
当初、奥志賀は志賀高原の一部では無く独立したスキーリゾートを目差しました。
スキー場の配置やホテルの場所そして、国立公園の普通地域なので厳しい規制も無くゴルフ場や別荘地の分譲などを行いました。
別荘の分譲と言っても借地権になります。
宿泊施設も2件立てて現在の奥志賀高原ホテルと現在グランフェニックスがある場所には安価なスキーヤーズベットスタイルの奥志賀高原ロッヂがありました。
1975年昭和50年には、杉山進さんがスポーツハイム奥志賀、そして1986年昭和61年よりペンションが立ち始めました。
ペンションの時は私は旅館組合の役員をしていて一つの問題が起こりました。
志賀高原の一部では無く、独立したリゾートをと書きましたが最初に会社の保養所地区から分譲した長野電鉄は面倒を見てくれないと志賀高原の保養所などが加盟する寮組合に加盟しました。
ペンションの時も奥志賀のパンフレットにはペンション名が記載されますが志賀高原のパンフレットには載りません。
志賀高原観光協会の会員にならないと記載する訳には行きません。
観光協会の会員になるためには志賀高原旅館組合に加盟が必要です。
ペンションの皆さんは、分譲した長野電鉄に言うのですが分譲マンションなどのデベロッパーと同じで知らんふりでした。
役員会でも何度も議題になりペンション組合を設立して加盟する案も出ましたが結局旅館組合に入りました。
奥志賀と名前を付けたのは当時高山村が南志賀、夜間瀬竜王などが北志賀と名乗っていたので志賀高原とは別の意味で付けたのだと思います。

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3月25日

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天気 かいせい 気温-11度

真冬並みの猛吹雪の後の快晴です。
三寒四温などと言う生易しいものではありません。
これから本来真冬に南下する筈だった寒気が時々切り離されて極端な天気が続くのかもしれません。
夏に南下すれば平成5年以来の冷夏の再来になるかもしれません。
翌年、コメ不足でタイ米が混じった事を思い出します。

1949年昭和24年に国立公園の指定を受け現在の焼額と奥志賀以外は特別地域になり、開発する場合厳しい許可が必要になりました。
愚かな民が勝手に開発するでない。優秀な官が理想的な計画を立てて遣る。
そこで、国民の健康と福祉に増進するスキー場はここに作って、スキー場を使う人のために宿はここにと決められました。
そのため志賀高原の殆どの宿泊施設はゲレンデ周辺にあります。
スキー場と宿は認めましたが、生活する場所ではないので一切の生活施設は認められません。
単独のお店屋さんやコンビニなどは作ることが出来ません。
オリンピックのために郵便局は唯一認められましたが、そりゃー総務省の方が環境省より・・・書けません。
志賀高原は計画的にスキー場や宿を配置したので、他所のスキー場に行かれているお客様にすれば宿とスキー場が近くて驚かれるのだと思います。
尚、現在焼額も奥志賀も特別地域に編入されました。
明日はその奥志賀になります。

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3月24日

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天気 ふぶき 気温-15度

上空にマイナス30度以下の寒気が入り込み朝までに30-50センチ程度の積雪になりました。
今日1日降り続く予報です。
これからお越しになられる夏日を経験されたお客様は、真夏に南半球にスキーに行くような感じかも知れません。
厳冬期の真冬に逆戻りしました。

進駐軍の命令で掛けられた丸池リフトが昭和27年には進駐軍による摂取解除が行われました。
その時、地主である財団法人和合会が引き受ければよかったのですが長野電鉄が引き受けました。
後になってその時ボタンの掛け違いと長い間言われて、2008年に合併して現在の中央エリアを運営している志賀高原リゾート開発ができました。
当時、長野電鉄は旧丸池観光ホテルを経営していて丸池リフトも引き受けましたが、サンバレーのグリーンさんが法坂リフトを、木戸池ホテルさんが木戸池リフトをと次々に宿泊のお客様のために宿がリフトを掛けました。
そのため最盛期は13社のリフト会社が出来ました。

13社もあると意見が纏まるのは料金値上げでは纏まりますが、あとは纏まりません。
実際にあった話ですが1社が経営が苦しくなりました。
そこで値上げになったのですが、私どもにすれば、それなら売上金の案分の比率を変えればよいではないかと考えますが、どの会社も自分の売り上げを落として助けようとはしません。
またGWは春スキー料金から通常料金に戻った時期もありました。
それは、旧渋峠リフトさんにすればGWが一番の稼ぎ時なので1人前の料金を貰いたい。
また他社もGWまで雪を持たせるためにスノーマシンなどの投資額を回収したいと値上げでは足元がそろいます。
当時言われていたのは、地元資本が1社、地元私鉄が1社そして大手が1社の3社くらいが一番まとまり、理想と言われていました。
現在また状況が激変しましたが合併が、良かったかどうかは後の歴史的判断に任せたいと思います。
あの時、地元資本を纏めるために合併したばかりに・・・・


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3月23日

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天気 快晴 気温-7度

雪が舞い木々はキラキラ輝き、ピステンは輝いています。
今朝はマイナス10度以下まで下がりました。
今晩から西高東低冬型気圧配置に戻り雪の予報です。
しかし関東では25度を超えて夏日だと言うのにまだ志賀高原は冬です。

戦後、1946年昭和21年に志賀高原ホテルが米軍の進駐軍に摂取されて近代スキーが始まりました。
進駐軍からスキー雑誌を見せられて、写るているリフトを掛けるように命じられました。
戦争賠償の一環として進駐軍の命令は絶対です。
群馬県の万座の先に小串鉱山がありました。そこでは硫黄を取っていたのですが、それを索道を掛けて長野県の須坂駅まで運んでいました。
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写真は現在も残っている索道の支柱です。

そこの技術者と資材により日本初のリフトが現在の丸池トリプルリフトの場所に掛けられました。
丸池のAコースは残っていますが右側にB、Cと3本のコースとジャンプ台まで作らされました。
当然リフトは米軍専用で日本人は乗ることが出来ません。
そこで昭和23年には現在の丸池第2ペアリフトの場所にロープトゥを掛けちゃいました。
焼玉エンジンでドラム缶を回して綱引きに使うロープを繋げて作っちゃいました。
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※写真は志賀高原スキー史より拝借しました。
今時、ロープトゥを知って居られる方は少数だと思います。

山スキーから現在のゲレンデスキーが始まったのは志賀高原が最初です。
日本の近代スキーの始まりです。
最初に2人乗りリフトが掛かったのは私どもの横の西舘第2リフトですし、現在クワッドリフトと言っていますが高速循環リフトも高天ヶ原が最初です。
その都度、関係者が大勢視察に訪れました。

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