2月28日

天気 ゆき 気温-6度
雨の代わりの大粒の雪が降っています。
標高の低いスキー場は雨だと思います。
本日で2月も終わりですがこんな2月は経験に有りません。
2月らしい天気の日が有りませんでした。
修学旅行にお見えになられた生徒さんから教えて頂いた事もありました。
教えられたと言うより、目が覚めたと言った方が適切な出来事でした。
簡単に書くと読まれて居られる方には判らないと思いますので長くなります。
長野オリンピックの前は2月と言うと大学のサークルの合宿が押すな押すなで押しかけていました。
学生さんにしても試験が終り、3月になると帰省したりアルバイトを始めたりしますので一番良い時期でした。
スキーサークル以外でも夏はテニス、冬はスキーのようなミーハーサークルまで数多く合宿に来ていました。
オリンピックの時、修学旅行などは文部省より通達があり、期間中は自粛するようにと通達が出たのですが、その問題は今回は書きません。
大学のサークルの合宿は観客輸送のための交通規制やゲレンデの制限などで、ほとんどのサークルが別のスキー場に変更しました。
翌年、戻って来たサークルは少なかったです。
可処分所得が減り右肩下がりの時代になり、学生さんにしてもリフト料金などが安いスキー場に流れ、戻って来ることは稀でした。
その中で、そのスキー同好会のサークルは翌年ちゃんと戻って来ました。
某有名大学のスキーサークルなのですが、数の勘定が出来ないのをのぞけば、昔からスキーって楽しいな!!みんなでワイワイのサークルでした。
数の勘定が出来ないのは、昔から現部員は平均して60名なのですが大学院に進学した人まで合宿と言うと着いて来て毎回人数を数えると80名以上いて、申し込みは60名なのでそれ以上部屋は無いと言うと半日かけて、あの12帖の部屋なら14人、あの8帖の部屋なら10人と部屋割りをして寝れると喜ぶのが毎回でした。
卒業しても「後輩たちがご迷惑をおかけしています。」と言ってOBなどが就職しても泊まりに来ていました。
「迷惑を掛けたのはお前らだろ。」と突っ込みを入れたくもなりますが、そのような関係が長く続いていました。
昔は6泊して、その後3泊は大会のため別の施設に移り、終ると戻って来てお疲れ様合宿と称して2泊してそれぞれ分かれて行く形でした。
最後の頃は前合宿は4泊になりました。
ターニングポイントは、その大会と言っても競技スキーでは無く基礎スキーですが、なんと総合優勝してからです。
優勝した年は、お酒を差し入れした記憶があります。
それ以降、そのサークルは変な方向に向かって行きました。
体育会で無いサークルが体育会のマネ方向に進んだのですが朝起きたらランニングに行くのでは無く、雄叫びを上げるようになりました。
続きは明日へ
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