3月16日

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天気 はれ 気温-13度

現在、気圧の谷の中で晴れています。午後から大雪の予報が出ています。
この晴れ方が山で遭難する晴れになります。
予報は雪なのに、予報が外れたと思って行動して遭難する天気です。
予想気圧配置図と気圧計は大事です。

今週も志賀高原の歴史を続けて行きたいと思います。
志賀高原の開発は1927年昭和2年から始まりました。
昭和4年には東京のホテルオークラなどを作られた大倉さんがノルウェーよりヘルセット中尉を招きました。
志賀高原の雪質の良さにビックリして「東洋のサンモリッツ」と称賛したそうです。
それからの志賀高原の歴史は戦争とオリンピックになります。
戦前の昭和15年1940年に札幌オリンピックと東京オリンピックの冬夏同時開催が日本に決定していました。
国威発揚の意味もあったと思います。
冬夏同時開催できる国だぞ!!と また外貨獲得の必要に迫られていたようです。

招致の段階で、昭和10年1935年に志賀高原は軽井沢と組んで立候補しました。
IOCの視察団が見えるため、丸池に現在歴史記念館になっていますが志賀高原ホテルを立てました。
当初は県が建てて運営を京都ホテルに委託していたようです。
昭和10年には鉄道省より国際スキー場の指定を受け、海外から大勢のスキーヤーを集める使命を課せられました。
よく日帰りで使える施設は無いのかと言われますが、もともと滞在型のリゾートとして計画されています。
この事によって志賀高原のスキー場の価値が内外に知られるようになりました。
また現在のインバウンド、外客誘致のため、上高地に帝国ホテルが有るのもそのためです。
オリンピックで大勢の外客が来ますので、日本の素晴らしい景色を楽しんで頂き外貨をガッポリ獲得するのが目的です。
現在と違い船旅しかありません。夏のオリンピック観戦のついでに折角なので日本の名勝地をめぐります。
この時代は、関東大震災、昭和恐慌、満州事変と続き、とにかく外貨獲得が重要で鉄道省に国際観光局が出来たそうです。
志賀高原は、お国のためにしっかり外貨を稼ぐ事を課された観光地です。
残念ながら第2次世界大戦のため1940年昭和15年の東京と冬の札幌オリンピック、1944年昭和19年夏はロンドン、冬はイタリアのコルチナ・ダンペッツオ大会は中止になりました。


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