3月26日

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天気 かいせい 気温-3度

ピステンが光輝いています。
今朝はマイナス5度程度の冷え込みでした。
天気が良いのはありがたいのですが、日差しが強く曇ってくれた方が助かります。
土日は雪の予報が出ていますので日差しを考えると助かります。

奥志賀は1969年昭和44年に長野電鉄が山ノ内町より99年の借地契約を結びオープンしました。
99年契約ですがホンコンやマカオも99年の借地で、まさかの中国に返還になりましたが2068年に町への返還は無いと思います。
前にも書きましたが明治維新の時、新政府の官地か民地の時に当時の夜間瀬村は村有地として取り戻したので3村が合併して山ノ内町になり町有地になりました。
当初、奥志賀は志賀高原の一部では無く独立したスキーリゾートを目差しました。
スキー場の配置やホテルの場所そして、国立公園の普通地域なので厳しい規制も無くゴルフ場や別荘地の分譲などを行いました。
別荘の分譲と言っても借地権になります。
宿泊施設も2件立てて現在の奥志賀高原ホテルと現在グランフェニックスがある場所には安価なスキーヤーズベットスタイルの奥志賀高原ロッヂがありました。
1975年昭和50年には、杉山進さんがスポーツハイム奥志賀、そして1986年昭和61年よりペンションが立ち始めました。
ペンションの時は私は旅館組合の役員をしていて一つの問題が起こりました。
志賀高原の一部では無く、独立したリゾートをと書きましたが最初に会社の保養所地区から分譲した長野電鉄は面倒を見てくれないと志賀高原の保養所などが加盟する寮組合に加盟しました。
ペンションの時も奥志賀のパンフレットにはペンション名が記載されますが志賀高原のパンフレットには載りません。
志賀高原観光協会の会員にならないと記載する訳には行きません。
観光協会の会員になるためには志賀高原旅館組合に加盟が必要です。
ペンションの皆さんは、分譲した長野電鉄に言うのですが分譲マンションなどのデベロッパーと同じで知らんふりでした。
役員会でも何度も議題になりペンション組合を設立して加盟する案も出ましたが結局旅館組合に入りました。
奥志賀と名前を付けたのは当時高山村が南志賀、夜間瀬竜王などが北志賀と名乗っていたので志賀高原とは別の意味で付けたのだと思います。

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