7月5日

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天気 くもり 気温16度

朝方強い雨が降りましたが現在小康状態です。
すでに梅雨末期の様相ですが週間天気予報ではしばらく雨が続く予報が出ています。
もしかしてだけど、夏中雨で冷夏だったりして。
1993年平成5年は梅雨前線が8月になっても停滞していてコメ不足を引き起こした冷夏になりました。

他人の不幸は蜜の味の続きになります。
山岳救助隊ではスキーで2回失敗を経験しました。
一番最初の失敗は山岳救助隊に入りたての頃ですが、今私どものレストランに飾っている特捜隊と書いてあるスキーのお古が先輩から届きました。
飾ってある奴は、新しくスキーを入れ替えた時、在庫として残っていた奴でビンデングが付いていない新品です。
捨てるに勿体ないので貰ってきて飾ってあります。
新品のスキーが残っていても、新入りにはお古のスキーが配られる世界です。
お古のスキーなのでビンデングも当時の物は穴を開けなおして自分のスキー靴に合わせました。
先輩から冬、本番前に一度履いておくようにと指示が出ていました。
12月に1回だけ私どもの隣の西舘スキー場で1本だけ滑りました。
当時は長尺、メーターものと呼ばれていた2メートル位の長さのスキーが主流の時代でしたのでショートスキーは苦手でした。
お正月の1月2日の夜の事でした。
奥志賀スキー場で一ノ瀬にお泊りの4名のお客様が帰ってこない遭難が発生しました。
奥志賀に悩むことなく隊支給の山スキー用では無く、2メートルの普通のスキーを持って行きました。
私以外先輩たちは隊支給の山スキーを履いていました。
何も言われずそのスキーで捜索に加わりました。
奥志賀のゴンドラが無い時代で、ホテル側の第1リフト(当時はシングルリフトの時代です。)から第四リフトと乗り継いで焼額の山頂に向かいました。
リフトは係員が一緒に行って私たちの前に1人が乗って先に行って次のリフトを回して次へ次へと山頂に運んでくれました。
今でも同じだと思うのですがリフトのモーターは夜は投光器で照らして凍結を防いでいて、その明かりが幻想でした。
第4リフトを降りると焼額山頂の稚児池に向かって登っているシュプールが付いていました。
まだ焼額山スキー場が出来る前の話しです。
焼額山スキー場が出来る前は、奥志賀で滑るとバスもしくは車で戻ってくるしかない時代です。
3月になると現在の焼額のパノラマと白樺コースと一部重複しますが一ノ瀬へのツアーコースとしてオープンさせていました。
今もですが稚児池には12月に立ち入り禁止の立て札とロープを張ります。
その時は先輩方も長尺のスキーの方も大勢居られました。
立て札を無視して、そのロープをくぐりシュプールが付いていました。
遭難者にすれば奥志賀からバスで帰るのが面倒なのでオーブンしていないツアーコースで一ノ瀬に向かったものと推測されました。
シュプールを追いかけて滑って行きました。
映画ワタスキではユーミンのブリザードがバックに掛かり、万座に向かって急斜面を果敢に滑って行くシーンが印象的ですが現実は違います。
本来は左側に行くのになぜが右へ右へと向かい途中から斜面を降りずに上に上がって行きました。
来たシュプールを戻れば良いのにと思いましたがシュプールを追っていくしかありません。
滑ると言ってもスキーを履いて新雪の上を歩いている感覚です。
そこで長尺のスキーの欠点が出ました。
そうです。スキーを持ちあげる度に短いスキーより面積がある分雪を多く持ち上げるので足が疲れます。
そうこうしていると想像外の物が目に飛び込んできました。
長くなりましたので続きは明日へ
決して突然UFOにさらわれたように痕跡が消えた訳ではありません。
まだ全員がその場で倒れていて亡くなっていた訳でもありません。
想像できない光景でした。



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