9月28日

天気 はれ 気温12度
南から湿った空気が流れ込み冷やされて雲が出来ます。
例年なら9月は天気が安定するのですが10月に期待です。
深田久弥は志賀高原が大好きで、今は営業されていませんが発哺温泉の天狗の湯の常連客でした。
昭和7年には小林秀雄と2人で遭難騒ぎを起こし、小林秀雄は命がけの遭難を随筆集に発表し教科書に載るような大きな反響を得たそうです。
そして、昭和11年に文藝春秋社に高天ヶ原に別荘を建てさせました。
高天ヶ原の歴史は文藝春秋社のヒュッテから始まりました。
場所は私共の道路を挟んだ真ん前に有りました。
昭和43年までは文藝春秋社のヒュッテとして存在していましたが、取り壊したのはもっと後で高天ヶ原の駐車場を広げる時に建物を壊したと思います。
幼少の頃、何度がお邪魔した記憶があります。
覚えているのは蚕だなのベッドと人形型のシュラフです。
大人用のシュラフだとは思いますが、体が拘束されたようで眠れなかった記憶があります。
それと、〇〇ちゃんへ(私の名前)贈呈 〇〇〇〇と直筆のサインを頂いた本を何冊も頂きました。
もちろん読めないのは解っていて、きっと大人になったら読んでねだったと思います。
今もですが、頂いた本はお客様がお好きに読めるようにしてありますが当時も同じです。
いつの間にか無くなりました。
かなりの冊数を頂いた記憶がありますが、残っていればどのような作家がお越しになられていたのか判ったのですが残念です。

写真は志賀高原旅館組合史より借用しました。
電線が写っていますので昭和30年代と思います。
いかにも上流階級のおしゃれなお嬢様が写っています。
当時スキーなんてブルジョアのスポーツでした。
あの頃にタイムスリップできるなら戻りたいです。
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