7月4日

天気 かいせい 気温10度
寒気が入り込み雷雨にはなりませんでしたが今朝は5度近くまで気温が下がりました。
折角、山に登って来た赤トンボが秋と勘違いして里に降りないか心配です。
もっとも秋も寒くなりますと降りますが暑くなると登って来ます。
はやく前線が北上して暑い夏が待ちどうしいです。
志賀高原の話に戻ります。
岩菅山から水を引く水路があります。
岩菅山に行かれたお客様はご存じだと思います。
喉を潤わせてくれるアライタ沢から水路が続いていますが、実は江戸時代に作られた水路になります。
前に書きましたが、天領に流れる水はすべて天領のものと外様の領地の民は目の前を流れる水を使う事は許されませんでした。
そこで天領の反対側に流れる水を引いて稲作に使いました。
上条(平穏)セギと言いまして、長野電鉄でお越しになられると湯田中の一つ手前の地籍になります。
今のように重機などない時代に手作業で作り、測量はメンバと言って弁当箱に水を張って水平を図りに作ったようです。
アライタ沢から上条までは20キロ以上あります。
江戸時代はコメが紙幣替わりですが、よくぞこの山奥まで稲作に使う水を求めてと先人は凄かったと思います。
ちなみに水路の中にパイプが2本入っていますが、高天ヶ原の水道水として使っています。
お山の上は水源が乏しいです。
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