9月2日

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天気 雨上がり 気温13度

朝一瞬晴れたのですが雨が降って来ました。
なかなか秋雨前線下がってくれません。

ヘリを使う以前の刈払いは、当然人力で荷物を背負い山中1泊で行っていました。
私が山岳救助隊に引きずりこまれたのは1981年昭和56年でした。
山岳救助隊に入れば、山中1泊の刈払いは当然でした。最初は野反湖のルートの刈払いでした。

始めてでしたので、装備もバックパックの本を買って勉強して
フレームザック(アルミの背負子にポケットがいっぱいついているタイプ)
やガスのストーブ(コンロ)なども買い揃えて準備をして作業開始当日を迎えました。

当時は一の瀬・高天ヶ原班でした。何も知らない純粋無垢の青年に
一の瀬のある方が直属の教育係になってくれました。

まずフレームザックを見たらちょうどピッタリと、テント一式を縛りつけてくれました。
他は分散して荷物に入れたりしていましたが、そのまんま縛りつけました。
現在のように軽いテントではありません。4、50年前の生地が厚く黄色?オレンジの
大型で重い長細い三角の形のテントでした。
大沼池から赤石山の登ると、更なる試練が待ち構えておりました。
ビーバーで竹刈作業をしますので作業する方の荷物もフレームザックなら
掛けるにちょうど良いと縛り付けられました。

当時は若手は作業では無く、ボッカでした。
2人分以上の荷物でしたので座ると立ち上がる事が出来ません。
作業をしながらですので5分進めば5分休み10分進めば10分休みで
進んで行きました。
周りの班の若手が立ち上がる時毎回、荷物を持ち上げてくれて進みました。

ビバーク地に着けば、休む間もなく地形把握と水源地把握のため
若手は、みんなの水筒を集めてリックサックに詰めて沢を下り
水汲みです。当時は班では、みそ汁くらいは用意してくれたと思うのですが
朝・昼・晩・朝・昼の5食持参でした。
疲れ果てて、ウイスキーのラッパ呑みをしてツマミには、疲れるだろうなと思いコンビーフ
などの肉類の缶詰を持って行ったのですが、食べる気にもなりませんでした。

ところがデザート用に持って行ったパイナップルの缶詰に、教育係の方の目が留まりました。
ちっと来いとテントに引きずりこまれました。
現在のように缶詰パッカンタイプではありません。
教育係の方が缶切りを取り出してパイナップルの缶詰を開けて
教育係3枚 小生は2枚と残りの汁を啜りました。
教育係いわく、美味しいものは少人数で!!

もし大勢の中で缶詰を開けていたら一切れも食べられなかったかもしれません。
教育係が居たから2枚食べる事が出来ました。お亡くなりになられて7.8年経つと思います。

その方はお酒を召し上がらない方でしたのでウイスキーは盗られませんでしたが
口を付けてラッパ呑みをしていたのに、他の方に呑まれました。
長くなりますので続きは明日へ

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