11月28日

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天気 大雪吹雪 気温-7度

真冬なら勘弁してくれと言いたくなる真っ直ぐに等圧線が立った気圧配置に朝からなりました。
気温も急激に下がっています。
昨日、リフトの担当者と立ち話をしたのですが土曜日の午後南風が強くなったのですが寒かったのに日曜日の暖かさが信じられないくらいに気温が上がりました。今朝から北風に変わり急激に冷え込み始めました。
急激な温度変化が信じられません。

さて、西館山スキー場は全日本スキー選手権開催のため1956年昭和31年に現在営業を休止されておられる天狗の湯の先代関 金三郎さんが設計された記録が残っておりますが、コースの設計は図面に書いて終わりではありません。どちらかと言うと図面は後の仕事です。
先ずは、冬の間スキーを履いて幾度となく原生林の中を滑り、コースのイメージを作ります。
滑ってはスキーを担いで登っての繰り返しです。
スタート地点は斜度が緩く、選手や関係者が多く滞在しますので広さも必要です。
当然競技コースですのでスピードの出る急斜面も必要ですし、メリハリをつけるため緩斜面も必要です。
ポールをセットして大会のコース取りのイメージも必要になります。
そしてゴール地点は広さが求められます。西館のコースも滑っては登りを繰り返して、最適と思った場所に、立木に目印を付けて置きます。
そして、今度は夏に藪漕ぎをしながら歩いて、コースにして不具合が無いかを確認して決めます。
コースを開けた記録は残っていますが、費用面は書かれておりません。
たぶん金三郎さんが先頭になって、木を切り藪を刈り払いコースにしていったと思います。
もちろん志賀高原の住民や下の青年団なども、手弁当で作業をしたものと思います。
リフトを掛けるのなら費用はリフト会社で払いますが、コースだけですので金の出どこがありません。
金三郎さんの事を書きだしますと本1冊くらいになりますので省略しますが、あまり知られていないと言うか極秘の出来事がありました。
金三郎さんのスキーに対する情熱のためなら書いてもいいかなと思い今回始めて書きます。
長野オリンピックの長野の候補地一本化が決まり、アルペンは志賀ノルデックは白馬に決まり滑降コースは岩菅山に決まった頃の事でした。
金三郎さんは志賀高原観光協会長やスキークラブ長どころか長野県スキー連盟、全日本スキー連盟などの数多くの役職に付かれておりましたが大正6年生まれですので75才くらいの時だったと思うのですが、すべての役職から隠居されて居られたのですが、岩菅山に新設される滑降コースの下見に行かれました。
寒かったので秋口だったとは思うのですが一人で見に行かれました。コース予定地は1メートル位の幅で刈り払いをしてありました。
自ら歩かれてオリンピックコースを確かめられました。
夕方遅くなってもお戻りになられず、金三郎さんが戻られないとなると志賀高原中大騒ぎになりますので、急遽内輪の者を招集して迎えに行きました。
昨年にガソリンランタンの話題を書いた事がありますがその出来事でした。
すべての役職は降りられて居られましたが、ご自分で確かめたかったようです。
金三郎さんは2006年平成18年6月21日にお亡くなりになられました。
金三郎さんの葬儀は天狗の湯で執り行われたのですが、参列者の車が延々に続き発哺入口からシャトルバスを出しました。
そして、天狗の湯の3階の大広間が会場だったのですが発哺のバス停から大行列でした。
何千人と言う弔問客であふれ返りました。
志賀高原とスキー業界の発展に絶大なる寄与された方でした。
志賀高原山内に関 金三郎さんの記念碑が欲しいくらいです。 合掌

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