12月2日

天気 快晴 気温-7度
今朝はマイナス10度以下まで下がりスノーマシンもクワッド側に移動して雪煙を上げています。
明日はスキー場開き祭ですが天気は良さそうです。
野外でのエベントなので天気が良い方がありがたいです。
大勢のお客様のお越しをお待ち申し上げております。
西館下部の話は来週に回して、西館山上部の話を続けます。
リフトが掛かった年に初級コースを開けて、それから中級コースを作りましたが、最初は下部のみでした。
現在は整備されて1枚バーンですが、当時は丸池のAコースのようにギャップだらけでした。
下に岩がゴロゴロしていましたし、現在のようにピステンやスノーマシンも無い時代でしたので下地の凹凸がそのまんまでした。
また真南に向いているので日当たりが良く、3月下旬になると真ん中あたりから地肌が露出しだしました。
3月になると従業員さん総出で雪出しを行っていました。
当時、雪を流す大きな樋があって、林の中まで並べてスコップで樋に雪を投げると樋伝いに流れて行きスキー場の中央に雪出しをしていました。
私共の隣ではロープトーの時代も、アルバイトのおにーさんがスキーを履いてプラスチックのソリに雪を入れて運び、ソリをヒックリ返してスキーで踏んでから滑って行ってリフトに乗って林の中へと繰り返していました。
皆さんスキーがしたくてアルバイトに来ていましたので楽しそうに作業をしていました。
西館の中級の上部が開設されたのは後だった記憶が残っています。
現在整備されて1枚バーンですが当時は地形のそのままのコースでした。
現在でもコースの右側を見ると当時の地形が残っています。
スタートして2段くらいジャンプして左側に回りながら現在より急な下部に、これまたジャンプしながら飛び込み、連続するギャップに耐えて現在と同じ緩斜面を滑ってリフト乗り場でした。
その後、現在のリフトの左側にチャンピオンコースと言う名の急斜面のコースを開けたのですが、直ぐに閉鎖になりました。
現在でも痕跡は残っています。FISコースなどずっと後になってからです。
西館で悲しかったのは、圧雪車が大原鉄工のラ.トラックしか持っていなかったので、急斜面の整備はオペレータが気分の乗った時に上から下に向ってしか整備出来ない事です。
急斜面の整備はウインチ付きのピステンで、ウインチで支点を確保しながら登りながら行います。
ウインチで車体を吊っていますので滑落する事はありませんし登りながら作業が出来ます。
会社が合併してから旧志賀山さんでジャイアントで使っていたのを借りて来て、たまに整備しています。
大原鉄工さんがウインチ付を作ってくれたなら、もっと整備も良かったと思います。
西館が面白かったのはもう一つあり、出稼ぎの従業員さんは3月31日まででした。
4月1日からはリフトの係員は若いオネータンに変わりました。
旧志賀高原ロープウェイさんは、湯田中ドライブインや蓮池のロープウェイに売店や食堂、高天ヶ原リフト降り場にはパーラーも遣っていて、もちろんロープウェイの車掌さんも女性でした。大勢の若いオネータンが働いてい4月になるとリフトのお手伝いに来ていました。
現在のように男女機会均等法などが出来る以前の話ですので、リフトスタッフで女性は皆無の時代でした。
妙に新鮮でした。そんな理由もあるのかもしれませんが旧志賀高原ロープウェイさんは社員同士の結婚が多かったと思います。
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