12月8日

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天気 ゆき 気温-9度

小さな低気圧が通り過ぎて今し方まで吹雪いていました。
積雪は10-15センチ程度の軽い雪です。
週末にはクワッドリフトが動き、タンネの森を横切って一の瀬と繋がる事を願うばかりです。

西館山は前にも書きましたが天狗の湯の先代 関 金三郎さんが全日本スキー選手権のために作ったスキー場なので、競技スキーヤ―に人気のスキー場となり1983年昭和58年からは、スキーワールドカップの一つ下の大会FISジャパンシリーズが行われるようになりました。
当時は無名のトンバやステンマルクなども実は、ワールドカップ出場権を得るため日本に出稼ぎに来ていました。
1989年平成元年にはスキーワールドカップが開催されました。
関 金三郎さんにすれば感無量だったと思います。
志賀高原で大会と言うと西館と言う時代になりました。
現在は大会中はネットで仕切りますが、横手山では現在の大回転スキー大会の前は1941年昭和16年より横手山複合スキー大会が行われていたのですが、滑降は横手山で回転は前山で行い、昭和40年代でも競技コースを仕切らず「挨拶の中で選手の皆さんは上手なのでお客様を避けて滑ってください」と言われた記憶があります。大会のコースをネットで仕切るようになったのはかなり後の事です。
記憶では、たぶん1983年にFISジャパンシリーズが行われた頃からだと思います。
もちろんポールを立てて紐を張ったりポールで×点は以前でもしていたと思いますが、ネットを張るようになったのは国際レースのFISからからかもしれません。
仕切るようになっても、子供のスキー大会の付き添いで某スキー場に行ったら、スキー場の中央あたりでネットで仕切ってあるのに、スタート前にバボーが乱入する出来事もありましたが、一般のお客様にすると大会イコール敬遠の風潮が出てきました。
西館の場合、スイスインさんから出る箇所にトンネルを作って、もう一つは西館下部の迂回コースにトンネルを作って一般のお客様の迂回路を作れば、そんなにお客様の導線には邪魔になりません。
西館のコースが世界的に優れたコースと言う事と、もう一つは旧志賀山リフトさんにすれば大会を開催すると一般客が敬遠して売り上げが落ちる思惑もありました。
ジャイアントで遣っていた小賀坂杯や少年スキー大会も西舘に移りましたし、東館山の回で書きました中日杯も西館になりました。
ところが、会社が合併して志賀高原リゾート開発になりジャイアントのトリプルリフト廃止になり、お客様にそっぽを向かれジャイアントの売り上げが激減したら大会を再びジャイアントに戻しました。
大会に出場する選手なら文句も言わずにリフトに乗ってくれます。
西館山のゴールハウスは1995年に、今までのプレハブから2階建ての建物に変わりましたがジャイアントは再び仮設に戻りました。
関 金三郎さんが存命なら嘆き悲しんだと思います。

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