12月9日

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天気 くもり 気温-7度

スノーマシンは上部に移り現在でも必死に稼働しています。
今晩から長野県北部でも雪の予報が出ていますが、
現状ではクワッドリフト運行は難しいかもしれません。

西館山の話も最後になります。
なぜ1つのスキー場に2社のリフトが掛かったかと言いますと、費用面で1社で2本は掛けられない事情がありました。
旧志賀高原ロープウェイさんにしても1本で下から上まで掛けたかったと思いますが倍近くの投資になりますので、1つのスキー場に2社で掛ける形になりました。

来週は、いよいよ高天ヶ原の歴史になりますがあまり書きたくありません_| ̄|〇 早く雪が降って全面滑走可能になり「絶好の天気・コンデションです」程度のしたいのですが。。。無理か?
志賀高原のリフトの話は昭和22年に進駐軍の命令でスキー雑誌の写真を見せられて日本初のスキーリフトが掛けた事から始まりましたが、その後昭和27年には旧丸池観光ホテル(長野電鉄)が貰い受けて営業を開始しました。
その後、昭和30年にはサンバレーにグリーンさんが法坂リフトを、同じく木戸池リフトを木戸池ホテルさん、そして昭和32年には熊の湯リフトを熊の湯ホテルさんがと次々に掛けて行きました。
現在歴史博物館になっている旧志賀高原ホテルさんも昭和35年にホテル裏側にリフトを掛けました。
私の祖父は1952年昭和27年に現在の高天ヶ原ホテルの前進、高天ヶ原山荘を開業しました。
アナザーストーリー運命の分岐点に、翻弄された1家の物語でもあります。
因みに私の父は二男でした。
横手山リフトを掛けられた小林さんも木戸池ホテルの二男です。
元法坂リフト、現在のリゾート開発の社長の春原さんもグリーンさんの二男でした。
志賀高原史には残っていないストーリーがありました_| ̄|〇
早く、全山滑走可能になれ!!
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