12月16日

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天気 大雪 気温-11度

朝から大雪になって来ました。明日はパウダーを楽しめそうです(^_^)v

高天ヶ原マンモススキー場の歴史に戻りますが1960年昭和35年に高天ヶ原第1リフトを掛けて翌年には第2リフトそして、昭和38年には第3リフトと次々にリフトを掛けて行きました。
前に1人1株と書きましたがリフトを掛ける度に、増資で補っていました。
リフトを掛けると言っては増資、従業員さんの給料を払うと言っては増資が続きました。
下の集落にお住まいの方にとっては早々増資には応じられません。
しょうが無いので和合会の役員で有るとか、旧志賀高原観光開発の役員と地元で応じていました。
地元にすれば折角リフトが掛かったのに、止められたら困ります。
そのため1人1株のバランスが崩れましたが、リフト会社の役員の選出方法は変わりませんでした。
昭和52年には第3リフトをペアリフトにして、第1のシングルリフトと共存は出来ました。
ペアリフトとシングルリフトは速度がシングルリフトの方が早く、お客様の棲み分けが出来ました。
ところが昭和58年秋に日本ではまだ認可は、だいぶ先と思われていた高速循環リフトが実証実験の名のもとに認可が降りました。
そこでも旧観光開発は大きな過ちを犯していました。
ちょうど現在の社屋の立て替えが行われていました。
以前は2階建の小さな建物でしたが現在の建物になりました。
地元では従業員宿舎や本社事務所はスキー場の隅に持って行って、リフト券売り場やパトロール室だけ前に持って行くように何度も話し合いをしたのですが現在の建物をスキー場を塞ぐ形で立てました。
一の瀬ファミリースキー場も同じです。
建物が無ければ下の平らな場所に、お客様のリフト待ちの列を誘導することが出来たのですが高速リフトの認可が下りてスキー場を塞ぐ形で並ぶようになりました。
9月末に認可が下りて10月に突貫工事でリフトを掛けました。
そして、12月15日から運転を開始したのですが、乗れるのはリフト代を払って乗る事のない関係者や小中学校のスキー部の生徒さんだけでした。
お客様は見ているだけでした。あくまでも実証実験ですので営業は出来ませんでした。
そして、暮も押し迫った御用納めの12月28日よりようやく営業の許可が下りてお客様も乗れるようになりました。
当時は3人乗りで1月17日以降秒速4メートルの運行を開始しまた。
実証実験名目ですので万が一事故でも起これば、認可は取り消しです。
関係者にすれば昭和22年に丸池のリフトが掛かって以来の衝撃でした。
平日に全国から大勢の関係者が視察に訪れました。
高速循環リフトはバケモノでした。
当初は3人乗りでしたが、その後4人乗りに掛け変わりました。
高天ヶ原と一の瀬は、シングルリフトを1本掛けたら横にもう1本掛けて、そしてペアリフトが認可になればシングル2本廃止してペアと次々に架け替えて行きました。
高速循環リフトも3人乗りから4人乗りと架け替えて行きました。
また高速循環リフトが掛かってから前は、リフト待ちの行列でしたがドンドン上に上がりスキー場内で停滞するようになって危険なのでスキー場もスムーズに滑れるように、整備をして逆につまらないスキー場になりました。
高速循環リフト認可になって良かったか判りません。
しかし、それも高天ヶ原マンモススキー場の歴史になります。fu~



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