12月21日

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天気 快晴 気温-3度

今朝もマイナス7度まで下がりました。
昨日、日中気温はプラスになりましたが雪が舞っていました。
空気中の湿った空気が冷やされて雪になったようです。
お見えの地元の業者さんも、流石は志賀だと驚いていました。

さてさて、志賀高原の歴史に戻りたいと思います。
高天ヶ原の次は一の瀬になりますが、丸池・蓮池地区の開発のあと発哺・高天ヶ原と奥に奥にと開発が進みましたが一の瀬は、今までと開発の事情が変わりました。
先ずは旅館地区ですが、それまでは希望すれば場所や面積は自由でした。
和合会とすれば、希望者が増え一の瀬の開発は30の区割りに分けて40名の希望者の抽選となりました。
借りられる面積は同じ面積となりました。
ただジャパンさんのように仲間内3人が隣同士の割り当てになり共同で1軒始めたお宅もあります。
1963年昭和38年開業の志賀ホワイトホテルさんから始まり昭和48年のホテルサンモリッツさんまで開業が続きました。
私も聞いて驚いたのですが抽選に漏れた方に横手山の陽坂地区をあっせんしたそうです。
関係ないとは思うのですが、志賀高原内に番地は3つしかないのですが陽坂は熊の湯地区なのに発哺・高天ヶ原地区と同じ番地で7149です。熊の湯は7418になります。郵便やさん泣かせです。
リフトはファミリーよりダイヤモンドの方が早く、周りに1軒も宿泊施設が無いのに昭和38年に最初に開業しました。
そのため高天ヶ原リフト終点よりブルでソリを引いて(トロイカ号)お客様の無料送迎を行っていました。
昭和41年までは、蓮池から先は冬季閉鎖でしたので3年間お客様の送迎をおこなっていました。
旧志賀高原ロープウェイさんは石橋を叩いても渡らない会社でしたが、一の瀬はリフトが先で旅館が後からの地区になりました。
明日ファミリースキー場の話題を書いて終わりにしたいと思います。


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