3月30日

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天気 快晴 気温-5度

雲ひとつない快晴です。
今朝もマイナス10度以下まで気温は下がっています。気温が上がる予報ですが雪が厚く早々緩みそうもありません。

1982年の雪不足の年で忘れられない出来事が2つありました。
ひとつは、当時スキー専門のサミーツアーと言う会社があり、志賀担当に柳沢さんと言う方が居られてクリスマス寒波で志賀に雪が降り始めたと小耳にはさんだ途端、すべてのスキーバスを志賀に向かわせました。
白馬や野沢方面のバスに乗られたお客様も、目が覚めると白銀の志賀高原に着いていました。
当時のスキーツアーは、お金が掛かるスキーが安くできるが売りでしたので、どの宿に泊まるかは後回しでした。
どの宿かは当日朝着いてから割り振りを行い、その宿に行ったら満室と断られるとサミーの係員が他の宿を探して配宿していました。
当時サミーツアーとお付き合いのあった宿は1夜にして満室となりました。
スキー業界に残る柳沢伝説です。
当時はサミーツアーとはお付き合いがありませんでしたがその後、柳沢さんとも昵懇の中になりましたが、そんな大ばくちをするタイプの方ではありませんでした。
やはりお客様にスキーをさせたかった一存だったと思います。
某スキー場にスキーに行ったのに「スキーが出来ずテニスを遣っています。雪が降ったら滑ります。」とお客様の感想がニュースで流れていました。
で、新聞のスキー場便りでは1メートルの積雪と書かれていました。
と書きながら高天ヶ原も一の瀬も西舘も何処で測っているのか今でも知りません。

もう一つはスキー宅急便の登場です。
最初は「スキー手ぶら」と言う名称で長野支店が始めました。
スキー場から家には送れるのですが長野支店が始めましたので、お客様の家からは送れませんでした。
お客様は家の側の営業所に激怒していました。
当時、私共に東京の大学のスキークラブが合宿で来ていたのですが滑れる場所が少ないので、帰りのバスをキャンセルしてバス電車で帰る事になりました。
始めの時は1人の方が専属でワンボックス1台で、志賀高原内を回って集めていたのですが40人かける2で荷物80個ですので電話をすると2トン車に乗り換えて集荷に来ました。
一時に80個の荷物にビックリしていました。
また最初はスキーに掛けるビニールは無料で、その方が1つ1つビニールにいれて梱包していました。
ただ当時のヤマト運輸は12月28日から1月2日か4日の初荷まで集荷配達ともストップでした。
年末年始も配送は、だいぶ経ってからでした。
その間、宿によっては預り切れないので断っていた施設もございました。
私共では、しょうがないので預かって物置に運んでいました。

ただスキーの宅配に目を付けたのは先程のサミーツアーの河合社長の方が先でした。
東京に丸井と言うクレジット専門のデパートがあるのですが、そこの配達を担当していた中野運輸と言う会社に目を付けました。
デパートの配送ですので配達をすれば荷台は空っぽになります。
そこで、宅配の注文のあったお宅に寄ってスキーを集めてツアーバスの後ろにトラックがついて、スキー場に着くと手渡しです。
サミーの河合さんはいろいろな面でアイデアマンでした。

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