3月15日

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天気 かいせい 気温-13度

今し方まで雪が降っていました。
このまま昼頃まで降るのかと思ったら晴れてくれました。
昨日、湿った雪の中滑られたお客様にはプレゼントになりました。
今晩からは西高東低冬型気圧配置になり雪になります。

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3月14日

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天気 ゆき 気温-7度

南岸低気圧の影響で雨の代わりの湿った雪が降っています。
徐々に寒気が入り始め、明日は上空にマイナス30度の寒気が南下する予報ですが明日は低気圧の前面になり晴れます。
16日頃には冬の雪になり久しぶりに新雪が楽しめると思います。


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3月13日

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天気 かいせい 気温-7度

昨日も日差しは春の日差しなのですが風は冷たいです。
春めいてきましたが、明日から真冬並みの寒気の南下が予報されています。
天気図を見る限り荒天にはならないと思います。

高天ヶ原に菊池寛や深田久弥ら作家仲間が出版社の文藝春秋社に山小屋を立てさせました。
余談ですが週間文春と競っている週刊新潮の新潮社の保養所は熊の湯にありました。
もともとは発哺温泉の天狗の湯に泊まっていましたが、志賀高原で何時でも好きな時に仲間内で泊まれる別荘が欲しかったのだと思います。
作家の三好達治は13年間 天狗の湯に泊まっていたそうです。

場所は私共の目の前の道路を挟んだ反対側にありました。
私が学生時代に、いつのまにか取り壊して現在は駐車場の一部になっています。
何度か幼少の頃、現在とは別の場所に住んでいましたが泊りに行ったことがあります。
きっと有名な作家先生さまが声を掛けてくれて、文藝春秋社社員の方が両親のところに挨拶に行き、先生さまがお坊ちゃんを気に入り招待したいのでお坊ちゃんを一晩お泊め致します。何かありましたら私が責任を持ちます。
とでも断わったと思います。

夕飯には大事な作家先生に食べて頂こうと持参したチーズや高級缶詰・キャビア等の高級食材が出たとは思いますが、それは記憶に有りません。
キャビア一番最初に食べた記憶が無く、高級キャビアは好物ですのでその時に刷り込まれたのかも入れません。
大好物です。
きっと著名な作家先生が大勢お見えになったと思います。

昔、謹呈と書いてあった本を頂き、かなりの冊数を頂いていましたが、幼少の子供が読んで理解出来る訳も無くいつの間にか無くなっていました。
今もですがお客様に読んで頂くように色々な書籍を置いてあります。
現在なら本人のサイン入りですのでオークションに出せば!!
もちろんそう言う事はしませんが・・・・

来週も志賀高原の歴史が続きます。
近代スキー発祥の地は志賀高原になります。

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3月12日

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天気 かいせい 気温-11度

小雪が舞っています。
ご覧のお客様にすれば雪と喜ばれるかと思いますが、この時期の小雪はアイスバーンの目の中に入り雪質が違うので滑りにくくなります。
折角の高速バーンが・・・・_| ̄|〇
お泊りのお客様は喜ばれています。
昨日も結局西風で晴れていましたので2日続けて良い天気です。

当時のスキーは冬山登山の延長と書きましたが、竜王ツアーコースや草津ツアーコースも同じです。
よく戻ってくる方法はと聞かれますが、登山の縦走と同じです。
折角なので竜王コースは帰る時、来るときに降りた湯田中駅では無く、竜王を滑って湯田中の2つ先の夜間瀬駅まで滑って帰路に就くコースです。
また草津コースは熊の湯で滑られたお客様が横手山を越えて草津まで滑って行って、草津から帰路につくコースとなっています。
もちろん現在のように宅配便はありませんので荷物は背負ってスキーで登り滑り降ります。
リフトを使う現在も観光協会主催の草津ツアーの出発地点は熊の湯にしています。
違うのは野沢ツアーコースになります。
天狗の湯のお嬢様が野沢温泉に嫁がれて、天狗の湯さんが野沢までのルートを一番最初に開けた人に飾ってあるスキーを上げるで出来たルートです。
昔からよく言われるのが初任給が3000円の時代でもロシニョールは10万円しました。
現在でも10万円です。
当時とすれば100万円以上の価値かと思いますが、それは面白いと天狗の湯にお泊りの上流階級のブルジョアの方々がスキー目当てでは無く、新しいルート開拓を競いました。
現在、日本100名山で有名な深田久弥も参加して遭難騒ぎを起こした記録が残っています。
実は、この高天ヶ原で一番最初に山小屋を立てさせたのは菊池寛と深田久弥など作家仲間になります。
続きは明日へ

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3月11日

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天気 くもり 気温-6度

昨日は春の嵐でした。
昼頃より南風が強くなりリフトも運休が相次ぎました。
西高東低冬型気圧配置になりスキー場上部には雪雲が掛かってきました。
西風なのでところどころ青空ものぞいています。

東日本大震災から9年です。
お亡くなりになられた皆様のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。
被災された皆様は、まだ時間が9年前に止まったままだとお察しいたします。

志賀高原で初めてスキーを楽しんだのは1913年大正2年にドイツの貿易商のキンメル夫妻が上林でスキーをしたのが始まりとされています。
上林周辺の道路や畑の上で楽しんだようです。
そこへ旧制飯山通学でスキーを学んだ人や、上流階級のスキー熱が高まり滑る場所も上へ上へと登って行きました。
そこまでは野沢温泉や白馬村などと同じです。
人里があって雪が降るので周りの山でスキーを楽しむようになりました。
そこからが違いが出ました。
志賀高原をスキーのメッカにする分岐点でした。
江戸時代から発哺温泉には天狗の湯さんが、そして明治の初期から薬師の湯さんと熊の湯ホテルさんが夏の間だけ湯治場として営業をされていました。
標高1500-1600メートルの高地です。
今も昔も同じです。標高の高い方が雪質は良いです。
1929年昭和4年より押し寄せるスキーヤーのために冬も営業を開始ししました。
と簡単に書いていますが、当時はバスも走っていません。
発哺温泉に行く場合。上林からスキーを担ぎ、現在の白樺ルートからジャイアントの下の河原小屋に降りて西舘スキー場を登りスイスインさんの前を通ってようやくたどり着きます。
滑ると言っても冬山登山の延長です。
山を登って自分でコースを決めて滑ります。
その時代すでに岩菅山頂より滑ったり、熊の湯ホテルさんが冬季営業を始める前の1920年大正9年には早大生が渋峠でスキーを履いて遭難した記述が残っています。
続きは明日へ


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3月10日

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天気 時々霧雨 気温-2度

辛うじて氷点下に下がりましたが南風に乗って時々霧雨が流れてきています。
本日は北海道まで雨の予報ですのでしょうがないです。
昨日は春を思わせる温かさになりましたがすでに、来週は再び真冬並みの寒気が南下する予報が出ています。
極端な温度差が続くようです。

旧制飯山中学に、志賀高原の麓からも大勢の生徒さんが通っていて市川先生からスキーの指導を受けてスキー熱が高まり盛んになりましたが、飯山の地場産業が味方になりました
いくらスキーをしたくてもスキーが無ければできません。
実は、飯山は仏壇作りが産業で仏壇に使う木工が盛んでした。
木工の職人さんが見様見真似でスキーを作りました。
しかも仏壇には金具も使います。板だけでなく板と靴を留める金具も必要になります。
飯山には小賀坂スキー、スワロースキー、イムラスキー、プレバンスキーと覚えているだけで4社ありました。
最盛期には、もっと多くのスキーメーカーがあったと思います。
スキー発祥の地。新潟は昔 カザマスキーはありましたが他はあまり聞いた記憶はありません。
話は昭和40年代まで飛びますが、麓の湯田中にも中野にもスキーメーカーが多くありました。
国内のスキー需要だけでなく海外に多く輸出していました。
1ドル360円の固定相場の時代です。
スキーは型に素材を流し込んで固まれば出来るような気がしますが、それで出来るのは幼児用のプラスチックのスキーだけです。
1本のスキーを作るに、大量の木と手間暇が掛かります。
スキーの構造は今回触れませんが、仏壇作りの飯山だったからスキー作りが盛んになりました。

余談ですが、当時はヒッコリーの木が一番スキーに向いているとされました。
15年くらい前だと思うのですが小賀坂スキーさんが、残り少ないヒッコリーの木を使った限定のスキーを作り販売しました。
1組20万円?くらいだった記憶はありますが、滑るのでは無くコレクション用だと思います。
小賀坂さんの話では、ヒッコリーの木がもう手に入らず作れないそうです。


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3月9日

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天気 快晴 気温-4度

ピステンが光り輝いています。
本日は全国的に4月並みに気温が上がる予報が出ていますが、上がっても10度に行くかどうかです。
だいたい半袖で暑い暑いと活動されているGWでも夜間は道路が凍結する極寒の地ですから。

志賀高原のスキーの前に触れなくてはいけない話題があります。
日本のスキーの始まりは1911年明治44年に、陸軍が新潟県の高田にオーストリーからレルヒ少佐を招聘しての講習会とされています。
その前に1902年明治35年に陸軍が青森で八甲田山雪中行軍大量遭難事故を起こしてスキーの重要性に注目したとされています。
その件に関しましては新田次郎の八甲田山死の彷徨や、高倉健主演の八甲田山の映画になっています。
新潟県の高田が日本スキー発祥の地とされています。
現在もスキー場として残っていてリフトも掛かっていますが264メートルの短いリフト1本のスキー場でです。
もちろん当時はリフトなんてありません。
スキーを担いで滑るか上るしかありませんのでその程度のスキー場でよかったと思います。
IMGP0358.jpg
写真は日本スキー発祥の地 金谷山スキー場です。

その翌年の講習会に参加された旧制飯山中学、現在の飯山高校の体育教師の市川先生が帰った翌日に、中学の裏山からグラウンドに滑り降り中学生に叫喚を与え「スキーこそ雪国の福音である」とスキー熱が高まったとあります。
体育教師でしたので、雪国の冬は野外で運動が出来ないので冬の体育授業にチョットした裏山でできますので最適なスポーツと思ったのかも知れません。
しかもその2月にはスキー部が創設されたとの記載もあります。
長くなりますので明日へ


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3月8日

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天気 ゆき 気温-7度

当初の予定より南岸低気圧が北を通り雪になっています。
もう少し南側を通過してくれれば晴れたのですが残念です。
きっとお客様が帰りになられる頃は・・・
それでも皆さん、昨日は遅くまで楽しまれていたので良いか・・・・


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3月7日

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天気 快晴 気温-10度

今朝は放射冷却も加わり冷えました。
昨日、午後より天気回復しましたが回復が遅い分明日も天気良さそうです。
ただ3月です。日差しは強いので、その分雪は重くなりますがそれでも快晴は嬉しいです。
2週続けて土日天気に恵まれました。
来週も天気に恵まれますようにパンパン


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3月6日

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天気 ふぶき 気温-13度

昨日、午後より吹雪になりました。
朝までに50センチ程度の積雪になりました。
天気の回復は遅れていますが10時頃には止み晴れてくると思います。
明日は天気・コンデション最高の土曜日になりそうです。

志賀高原山内には番地は3つしかありません。
それは共有地なので番地を振る必要が無かったからだと思います。
番地は住民の方が解りやすいように付けた訳でもなく、現在は民営化しましたが旧逓信省のお役人さまが税金の取り立て書を配達し易いように付けた訳ではありません。
江戸時代、税金(年貢)を取立てるために、田畑や家屋敷に番号を付けました。
もし山が個人所有なら誰がどのくらい占有しているで番地を振っていたと思います。
例えば東舘山で林業をされている方がいれば東舘1、2.3のように番地を割り当てて年貢の取り立てを行っていたと思います。

現在も勝手に番号を振っているお役所があります。
法務局なのですが何の証明書か忘れましたが、申請すると家屋番号はと聞かれます。
知りませんと答えると露骨に嫌な顔をされ証明書の発行の時、お宅は何番です。
ちゃんと覚えておくようにと行政指導されます。
横道にそれましたが来週も続きます。

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3月5日

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天気 ゆき 気温-10度

現在小康状態ですが今晩上空に強い寒気が流れ込む予報が出ています。
日本海も波の高さが6-7メートルと大しけになり予報道理になれば今シーズン一番の積雪になると思います。

明治新政府が出来たのですが、税収が少なく貧乏でした。
そこで目を付けたのは森林でした。
国が林業と思われる方も居られますが、林野庁と言う官庁もあり木を伐りだす営林署が1999年までありました。
旧国鉄と同じで膨大な赤字を垂れ流し、現在は森林管理局に名前を変えて令和の時代にも存在しています。
明治新政府のお役人が村人に聞きました。
この山は官地か民地かと?、すると村人は聞き返しました官地と何ぞや?、民地とは何ぞや?
するとお役人は答えました。官地とは税金を払わなくてもよい土地。民地とは税金を払う土地。
すると村人は田畑や家屋敷には面積に応じて税金(年貢)を今まで藩に盗られていたのにさらに山までもと、これ以上税金は払いたく無いと官地と答えました。
そうしたらなんと官地に付き、山に入山禁止の立て札が立ち、入山禁止になりました。
困った村人は裁判を起こしました。
古今東西を問わず有能な弁護士先生は霞を食べて生きている訳ではありません。
志賀高原(焼額・奥志賀・渋峠を除く)の場合、里の沓野村の村民の内292名が費用を出し合って裁判を起こし勝ち取りました。
さらに有能な弁護士先生は、292名で財団法人を設立して財団法人の所有にすれば税金は掛からないと授けてくれました。
それで所有は財団法人で、会員めいめいが借地をしている形になります。
焼額山は別の同じような財団法人の所有ですし、奥志賀は合併する前の旧夜間瀬村の所有で市町村合併で山ノ内町になった時、町有地となりました。
渋峠は群馬県になり群馬側はほとんどがその時、召し取られて国有地となり国から借りている形になります。
余談ですが、アルプスなどは誰も所有を申し立てなかったので国有地ですし、県境も定まっていない富士山は浅間神社が所有を申し立てて浅間山神社の所有になっています。


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3月4日

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天気 かいせい 気温-7度

今朝はマイナス10度以下まで下がりましたが前線をともっなた低気圧が近づき午後には里では雨、山では湿った雪の予報が出ています。
低気圧通過後は冬型気圧配置になり6日まで雪の予報です。
週末は再びパウダーが楽しめると思います。

志賀高原はスキーや観光が盛んになるまでは、林業では無く炭焼きや竹切りが主な産業でした。
林業の場合なら山ごとや場所で所有を分けますが、炭焼きの場合どんな木でも炭にはなりますが炭に向いているウバメガシなどは密集して生育していません。
ひとつの場所で窯を作ってある程度切ったら別の場所に移って行きます。
そのため広大な敷地が必要でした。
新潟と群馬の県境に三国トンネルがありますが、そのあたりまで占有していて三国と名前が付いたと思います。
現在では炭はBBQや焼き鳥に使うイメージしかありませんが、ガスが普及する前は大変便利な燃料でした。
直ぐに火が付いて煙も匂いも無く調理や暖房が出来る優れものです。
里から見ればかなりの山奥で道が無くても、冬になり雪が積もれば馬で引かせた馬ソリで出して来ることが出来ます。
雪がもたらす恵みです。
竹切りもプラスチックが出来る前でしたら籠などに最適な材料でした。
軽く丈夫な製品になります。
竹も現在根曲がり竹と呼びますが丈夫な竹になるのはやはり雪の恵みです。
竹切りも特に場所を占有することなく採取していたと思います。
そのため個人所有の場所は無く、みんなの共有地でした。
明治新政府が出来て、そんな山奥まで激震が走る事態が起こりました。
続きは明日へ


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3月3日

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天気 こゆき 気温-7度

弱い西高東低冬型気圧配置になり小雪が舞っています。
時期に晴れると思います。
昨日、熊の湯方面は霧に覆われていましたが高天ヶ原は晴れていました。
山一つ隔てただけでも天気が違いますが、夏よくあるのは蓮池からトンネルを抜ける度、天気が違うこともあります。
それが山の天気になります。

志賀高原内に個人の所有地はありません。
もし仮に寺小屋山をお持ちの寺小屋さんがスキー場にしたいと思っても、東館山をお持ちの東館さんが先祖代々の山でスキー場なんととんでもない。
孫末代まで林業で生計を立てると言ったら寺小屋だけではスキー場になりません。
志賀高原でも奥志賀は町有地、渋峠は国有地になります。
国立公園だから全部国のものと思われますが違います。
そこら辺の説明は明日へ


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3月2日

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天気 はれ 気温-6度

この辺りは日が差していますが、関東が雨のため横手方面は曇りです。
山一つ隔てて同じ志賀高原でも違います。

このところお昼に思えのお客様からゲレンデに近くて、おまけに泊まれるのですか?と
ご質問を頂く事が多くなりました。
今まで別のスキー場に行かれていて、初めてお見えになられたお客様にすれば不思議なようです。
ゲレンデサイドはレストランなどで宿泊場所は離れているのが普通なのかもしれません。
他のスキー場との一番の違いは、志賀高原はスキー場のために計画された場所になります。
先に村があり雪が降るのでスキー場になった野沢や白馬などとの大きな違いになります。
しばらくそんな話を書いて行きたいと思います。


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3月1日

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天気 かいせい 気温-7度

朝方雪が舞いました。ピステンがキラキラ輝いています。
弥生3月でも雪が降る志賀高原です。
土日とも天気に恵まれました。
きっとお越しになられておられるお客様の日頃の行いが良いのかも知れません。



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